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ホーレス・グラント:プロフィール紹介


ホーレス①


(ホーレス・グラントの画像。クリックで拡大)


本名:ホーレス・グラント
英表記:Horace Junior Grant
シカゴ・ブルズ - LA・レイカーズ 所属
ポジション:PF(パワーフォワード)

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《ホーレス・グラントのプロフィール紹介》

マイケル・ジョーダンがいた頃のシカゴ・ブルズの黄金時代を支えた好選手。
インサイドの要として、リバウンドやディフェンスという
汚れ役を買って出ていた。

クレムソン大学出身。1987年のNBAドラフト全体10位で
シカゴ・ブルズから指名を受け入団する。ルーキーシーズンは
同じポジションなに当時のNBAを代表するパワーフォワードの
チャールズ・オークリーが在籍していた為にベンチ出場であった。
グラントがスタメンになったのは、2年後の1989年からの事。
オークリーが他チームへ移籍した為であるが、
能力的にみてもいつスタメンになってもおかしくなかった。

ディフェンスやリバウンドといった役割をばっちりとこなす一方、
ジョーダンやピッペンに次ぐスコアラーでもあった。
1990年からブルズはNBA3連覇を成し遂げる。
ジョーダンやピッペンがクローズアップされがちだが、
グラントはブルズのインサイドを支え優勝に大きく貢献していた、
影のMVPは”ホーレス・グラント”といって良いくらいである。

1994-1995シーズンには、FAでオーランド・マジックへ移籍。
当時はシャキール・オニールらが在籍しており、グラントは豊かな
経験を生かし若いチーム・若いプレイヤーをプレイオフまで導いた。

以後何度かチームを移籍。2001-2002シーズンではレイカーズで2連覇に貢献。
その後、オーランド・マジックに復帰し2002年-2003年シーズン初めに引退を表明。
が、再度レイカーズに再復帰。2004年に引退する。

グラントには双子の弟がおり、弟もまたNBAの選手であった。
名は「ハービー・グラント」である。
グラントのトレードマークは、ふちがチームカラー色のゴーグルである。




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トニー・クーコッチ:プロフィール紹介


NBAロゴ


本名:トニー・クーコッチ
英表記:Toni Kukoč
ミルウォーキー・バックス 所属
ポジション:SF(スモールフォワード)


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《トニー・クーコッチのプロフィール紹介》

マイケル・ジョーダンの現役時代、シカゴ・ブルズの黄金期を支えた選手の一人。
オールラウンドプレイヤーであり複数のポジションをこなし、
マルチな活躍を見せた。柔らかいタッチが特徴。
いくつかのチームを渡り歩いているが、シカゴ時代が一番印象深いか。

クロアチア出身。ユーゴスラビア時代では、国内のチームに
所属し国内リーグ・ユーロリーグを制した経験を持つ。
ニックネームは”ヨーロッパのマジック・ジョンソン”
”クロアチアン・センセーション””ピンクパンサー”など。
管理人個人としては、”ピンクパンサー”がお気に入り。

1990年のNBAドラフト2巡目の全体29位で指名を受けたが
この時点ではクーコッチはヨーロッパでプレーする事を選択した。
クーコッチがNBAでプレーするのは3年後の事である。

1993-1994シーズンよりシカゴ・ブルズに加入しNBAの舞台に立つ。
ルーキーシーズンは控えとしてプレイしたが、チームに貢献。
平均得点も2桁な所も評価され、オールルーキーセカンドチームに選ばれる。
2年目からは先発として出場。得点・アシスト・リバウンドと当時の
チームリーダー、ピッペンに次いでチーム2位の記録を残す。

翌1995-1996シーズンでは、一度は引退したマイケル・ジョーダンが復帰、
また当時リバウンド王のデニス・ロドマンが加入。一気に選手層が厚くなった。
それにより再び控えでのスタートとなった。
しかし、オールラウンドプレイヤーで複数のポジションを
そつなくこなす能力をいかんなく発揮。
控えながらなくてはならない存在としてチームに貢献。
この年、NBAでもっともチームに貢献した
控え選手に贈られる「シックスマン賞」を受賞する。
以後のシーズンも最高の控え選手として活躍する。

1999-2000シーズン中にフィラデルフィア・セブンティシクサーズへ、
その翌シーズンにはアトランタ・ホークスへトレードされる。
2002-2003シーズンからはミルウォーキー・バックスへ移籍し
主に控え選手としてプレー、2005-2006シーズンを持って引退する。

オリンピックでは、1988年のソウルでユーゴスラビア代表として、
1992年のバルセロナでクロアチア代表として、それぞれ銀メダルを獲得している。

シカゴ・ブルズの黄金期を支えていた選手。日本のファンも、
クーコッチという選手がいたからこそベンチワーク・控え層の大切さを
より学べたかも知れない。今後も、クーコッチのような
ベンチを輝かすプレイヤーが出てきてほしい。




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